バクダッド1(ミサイル攻撃)

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イラクにいつ行ったのか何回行ったのかもう記憶の外で思い出せないが、1985年にバクダッドにいたのはハッキリしている。 故フセイン大統領が「今から40時間以降、イランの上空を飛ぶ飛行機は打ち落とす。」と世界に向かって公表したとき、その当事者となってしまったからだ。 アラブの人と話をする際「国立イラク銀行が爆破されたとき、私はバクダッドにいた。」と言うと、「19xx年に、あそこにいたのか。」と驚きながら答えてくる大事件があった。 ところが日本でこの事件を知ろうとしても、皆目調べられない。 (これだけアラブ諸国に石油を依存しながら、アラブの出来事など日本では全く関心が無いのだ。 困れば金を払えばそれで良い、何時もそういう考え方なのだ。) そんな訳で、以下の記事は一つ一つ事実であるが、時系列は正しいかどうかは分からない。

バクダッド出張のため、アルジェからフェリーに乗ってマルセイユに出港した。 かみさんからは「イラン・イラク戦争がエスカレートしているので不安だ。」と葉書きを受け取っていたが、それほど不安は感じていなかった。 国際電話はなかなか繋がらなかったときである。 地球の裏側で夜空を見上げながら「昨日の晩、かみさんはあの月を見ていたかな。」と、こんな風に思いを馳せる生活だったので、skypeの出現など想像もできなかった時代である。 アンマンにいたとき、「ベイルートには行くな。危険だ。」と言われていたので、危険を回避するためマルセイユからベイルートを経由しないフライトを選択したつもりだったのだが、機長が「ただ今、ベイルート上空を通過中です。」と機内アナウンスをしたのでビックリしてしまった。 飛行機が着陸したとき、バクダッドは静かだった。 翌朝起きたときに、サイレンが鳴った。 「こんなに早く工場が始まるんだ。」と聞き流していたが、サイレンが中々鳴り止まない。 「ん~、変だ。空襲か?」と思った頃、ホテルの中が騒がしくなった。 すぐさまホテルの三階か四階かに下りて、じっと身を伏せていた。 空から爆弾が降ってくるので、屋上は危険だ。 しかし地上に落ちたものはそこで爆発するので、「一階まで下りてはいけない。」と思っていたからである。 「空襲があれば建物の三階か四階に、テロなら屋上に逃げる。」という行動基準を頭にインプットしていたので、その通りに行動した。  あとから聞いた話を総合すると、「開戦当初はイラン軍の戦闘機がバクダッドに飛来し、地上からの対空放射でバクダッド周辺は炎のカーテンができていた。 しかしこの頃はイラク軍がイラク上空の制空権を握っていたので、イラン軍の戦闘機が国境を越えてもバクダッドには飛来できない。一方イラク軍の戦闘機は、テヘランを攻撃できる。」と言うことだった。 そのため当時も、イラン軍の戦闘機が国境を越えると、自動的にバクダッドで空襲警報が鳴り響くシステムになっていたらしい。 バクダッド到着後初めての朝にして、えらい目にあったのだ。 この日以降一日置きに空襲警報が鳴り、その合間の日にイラク軍の戦闘機編隊が上空を飛んで行った。 そんな空の下でも、市民は生活をせざるを得ないのだ。 「怖いか?」と聞かれるが、「そんなに怖くない。東京で交通事故に合う可能性の方が高い。」と返事をしていた。 晩TVニュースを見ると、「イラク軍が勝利した。」と報じられ、その証としてブルドーザが積み重ねられたイラン兵の死体を穴の中に落とし込む場面が延々と流れる。 何を言っているのか詳細は分かるはずも無く、実録なのか宣伝のためなのかも分からないが、TVを見ていると気分が悪くなる。 こんなニュースが連日続くのだが、「現実から目を反らすな。」と画面を見続けた。

ある朝、ホテルの傍で爆発があった。 テロだと思ったので、階段を駆け上がって屋上に出た。 下から煙がもくもく上がってくるので、近くにいた男に「あそこは、何だ。」と聞くと、「大統領官邸だ。」と答えてきた。 信じられないことだが、厳戒態勢にあるはずの大統領官邸の敷地内に爆弾が仕掛けられたのだ。 何がどこまで正しく機能しているのかは分からない。 常識の範囲内で判断していたら、命が無くなる。

ある晩、他社の日本人駐在員が南部のバスラに電話を入れた。 バスラは旧約聖書の「エデンの東」ではないかと言われ、ユダヤ人発祥の地だとも聞いたことがある。 イラン・イラク戦争では最大の激戦地となったところである。 この駐在員が「一緒に電話を聞いて!」と言ってきた。 「火の玉が飛んでいる。着弾した。あ~、火の手が上がった。今着弾した音が聞こえた。」と、バスラから戦闘の生中継である。 電話の声は興奮しているわけではなく、非常に冷静で客観的だった。 どのくらい離れた場所の戦闘を目撃しているかで違うとは思うが、自分がある事件または事故の当事者になってしまうと、結構落ち着いてしまうような気がする。

そしてまた、ある朝のことだ。 まだ暗く4時頃だったと思うが、ド~ンという音と共に地面が揺れ窓ガラスが振動して、ベッドから飛び起きた。 バクダッド中の住民が目を覚ましたという衝撃的な事件が起こったのだ。 三井物産現地事務所に行くと、副所長が「お前、良いところに来た。毒を食らわば、皿までだ。一緒に見に行こう。国立銀行が爆破されたらしい。」と叫んでいる。 考える間もなく、車に乗せられて現場に向けて走り出した。 近くまで来ると、副所長は、「国立銀行は12階建てだ。ここから見ると、7階から上が吹っ飛んでいる。これはテロなんかじゃない。ミサイルだ。」と説明してくれた。 確かにこんな大きなビルを吹っ飛ばすほどの爆弾を武装勢力が運び込めるはずはなく、しかもビルの7階から上に仕掛けたことになるのだ。 テロではないことは、私にもすぐ理解できた。  だが現場で鳴るラジオは「テロで銀行が爆破された!」と言っているらしい。 イラク政府は、「テヘランから発射されたミサイルが、バクダッドの国立銀行を直撃した。」という国辱的な事実を、一時的にでも兎に角もみ消さなければならないのだ。 現場では、「フセイン大統領が視察に来ている。」という噂が流れていた。 戦争が緊迫してきている中テロぐらいで、大統領が自ら現場を視察するはずはないのだ。 既に戒厳令が引かれてしまったので、民間人である我々、しかも日本人がこんなところでうろちょろしていては拙いのだ、危険なのだ。 ところが副所長は何を調べているのか、あっちこっち動き廻っている。 ごった返している現場で彼と逸れたら大変なことになる。 追いかける方も必死だった。 商社には、武装勢力の動きや武器に詳しい人が多い。 仕事には関係しないが、命に関係するからだ。 また流暢な発音でもないのに(全く日本語の発音)、不思議と現地人と話が通じる。 現実の生活では、日本大使館の役人よりも頼もしく感じる。

本記事を読むにあたって参考となる本ブログの記事:
バグダッド2(ミサイル攻撃) イスタンブール1(イラク脱出)
イスタンブール2 テヘラン(空港爆撃)

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