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人生、下り坂最高

 

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なんでもなく流れる時間を切り取る番組に、この男は似合わないと思った。ところが自転車のペダルを漕ぐごとに、良い味を出してきた。火野正平さんの味わいを引き出したディレクタと彼の服を選んでいるデザイナ、そして体力を消耗しながら黙ってペダルを漕いでいるスタッフに乾杯!!!

 

発想法

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発想法と言うよりは、「何が良いアイデアなのかを、ディスカッションで見極められるのか?」という問題を考えてみたい。

QCやISO9000が企業を席捲していた頃、KJ法や発想法などの講習会も持て囃されていた。「こういった活動こそ、世界の技術をリードする日本の原動力だ」とみんなは信じて疑わなかった。事実日本製品の品質は世界最高峰にあり、日本製品=高級ブランドというイメージが確立されていた。
わが社もしかるべき権威を招いて、「発想法」という講習会が開かれた。招かれた権威が初めに「発想法とは何か」を講義した後、30人ほどの中間管理職が提示されるテーマについてアイデアを思い描き、1テーブルを5~6人が囲んで夫々のアイデアを評価して、どのアイデアがテーマの答えに相応しいかを導き出すという研修プログラムである。この日の講師から提示されたテーマは、「紙を閉じたホッチキスの針を外すのに、上手い方法を考えよ」というものである。
古い話なのでどんなアイデアがあったのかよく覚えていないのだが、技術屋は理屈屋だから、ホッチキスで紙を閉じる工程を再現して、その逆の工程に必要な道具を考えていく。具体的には針を変形させるのだから針を固定する道具が必要だ、針をコの字に戻す爪も必要だ、紙から針を引き抜くピンセットみたいなものも要ると、必要な道具を絵にしていった。私は「たかが針を引き抜くだけなのだから、ヘラでいいんだ。針と紙の間に差し込んで引き抜けば良い」と、ヘラよりも道具らしいバターナイフ(てこの原理)をイメージして道具を描いた。テーブル毎に発想された道具が評価され、各テーブルのベストアイデアが選抜された後、発表の場が設けられた。講師は「良いアイデアが出ました。でももっと良いアイデアが、ここで考えられているんです。もう一度皆で検討してください」と講評があった。そのため各テーブルは、再度検討に入った。各テーブルは未発表の道具の中から選び出して講師に説明するが、「それが良いんですよ」という答えは最期まで返ってこなかった。検討内容を聴きながら巡回している講師は痺れを切らしたのか、「実はこのテーブルに良いアイデアがあるんです」と、我々のテーブルの前で立ち止まった。「エッ、このテーブルにあるの?」と皆が驚いた。講師はバターナイフの絵を持って、発表席に戻った。「実は最近のホッチキスには、レムーバーが付いているんです」と言って、ホッチキスをポケットから取り出した。「ここに付いているんです。このバターナイフの形状は似ているでしょう」と、ホッチキスの後部に突出している平らな金属の爪を紹介した(写真参照)。実物はバターナイフよりも全くのヘラだったが、この爪は今もホッチキスに付いていて、形状も変更が無いのだから役に立っているということだろう。
私は、この研修は発想法の講習会になるのだろうかという疑問を持ってしまった。グループ・ディスカッションとは何なのか? ディスカッションをすればする程、凡庸な結論を導き出すだけではないかと… 「ならば、自分の考えを押し通せ!」と叫びたいのだが、この段階では本人もこれが正しいかどうかの自信が無いので、声を大にできないのだ。

「宅急便」はヤマト運輸の社長の発案である。社長がこのアイデアを取締役会に諮ったとき、即刻否決されたという。「料金の計算が複雑で、パートのおばちゃんではできない」「重い荷物をおばちゃんでは運べない」という実作業から「運送トラックの調達や営業所の建設」という営業戦略まで総スカンだったと言う。「伊藤園の緑茶」、これも伊藤園の社長のアイデアだ。「缶にお茶を詰めて、外で飲めるようにしよう」と取締役会に提案した。「家でお茶を作れば良いじゃないですか。売れないです!」とこれも否決された。この緑茶は缶の鉄分が染み出して紅茶になると苦情が続出することになるが、ペットボトルが普及し出して難を逃れることになる。今では「家でお茶を作るの?」と言う高校生がいるというほど、日本の文化を変えてしまった。どちらも多数決で決めていれば、商品にならなかった。強烈な個性があって、初めて世に出ることができたのである。製品開発とはそんなものだと思う。

「製品開発に、マニュアルは妨げになる」というのが私の持論である。私の周りにはISO 9000に準拠した資料を細かく作成していた人がいた。膨大な開発記録が残されているのである。多分その記録に瑕疵はなく、記録同士に整合性もあるだろうと想像される。(私は読む気にならないのだが…)でもそういう人達の開発製品は、失敗が多いのだ。私はマニュアルを見ないが、開発製品の概要(仕様・機能)を聞くと、与えられた人材・予算・納期を基に略ゴールまでの工程を見通す能力があると自負している。潤沢な能力を備えてプロジェクトがスタートする訳ではないので、ボトルネックは必ずある。事前にボトルネックを見つける力量を日頃養い続け、ボトルネックは専門でなくても自分でやるという信念は持っていた。こういうことは、マニュアルには書かれていない。

雇い止め(2)

「退職証明書」「雇用保険被保険者離職票-1」「雇用保険被保険者離職票-2」を持って職業安定所に出向いた。職業安定所の世話になるとは考えてもいなかったが、年金支給の開始年齢が暫時引き上げられたため、定年を迎えた者は自動的に失業者に数えられるようになった。給料を稼ぐようになると、自動的に年金保険が給料から天引きされて、「定年を迎えると、厚生年金が支給されます」という言葉に何の疑問を持たずに生きてきた。ところが定年を真近にして、何の挨拶もなく年金の支給開始年齢が引き上げられたのだ。民間の保険会社がこんなことをやったら、契約不履行で裁判沙汰だ。国を相手取って訴える人がいないのはどうしてだろう? 話を職業安定所に戻そう。書類を受け付けてもらうと、「雇用保険(失業手当)を受給される方に、説明会がありますので出席してください。出席されない方は、支給できません。開催日はこの日です」と言い渡された。

数人で担当者の説明を聞くものと思っていたのだが、当日一つの部屋に50~60人が押し寄せているのを目の当たりにして、失業者の多さに驚いた。担当者は「このハローワーク管内の失業者の数は異常です。説明会は毎日午前と午後に開催していますが、部屋は一杯です。入れない人が道路で待っている状態です。そんな訳で、今仕事を見つけるのは大変厳しい状況にあります。50歳以上の方では、中々求人がありません。ですから満足できる求人ではなくても、まずは応募してください。希望する仕事を待っていたら、仕事は見つかりません。雇用保険の支給は働く意欲があることを前提としています。意欲のない人には支給されません。早速今日から、求職活動をしてください。最低月2回の求職活動が求められます。1回だけの求職活動では、雇用保険の給付を受けられません。よろしいですか、月2回の求人活動。そして月1回の活動報告をしてください。ただ現在は大変多くの方が失業しておられます。夫々の方と面談をしていると、職業安定所内の業務全体が停滞してしまいます。そこでPCで求人活動をしたときは、受付で「職業相談」の判子を貰ってください。それで活動報告の面談の代わりとします」という説明を聞いた後、「雇用保険受給資格証」を受け取った。私はこの失業者の群団で多分最高齢だろう。実に複雑な心境だ。情けないと言えば情けない。その後、詳細確認のため個別面談があった。「あなたは雇い止めですね」『えッ、雇い止め!』「雇い止めは、会社都合で仕事を辞められたということです。雇い止めは8か月間、翌月から雇用保険が支給されます。自己都合は6か月間ですが、まず就職活動をしてもらって、再就職ができないときは3か月後から支給されます」『あッ、はい、雇い止めです』と咄嗟に答えた。「それではこれで手続きは全て完了です」と正式に失業者に認定された。実に情けない!!! 退職届に「自己都合」と書いたのに、どうして「会社都合」なのと疑問が残った。会社から渡された雇用保険被保険者離職票をじっくり読むと、離職理由に「労働契約期間満了による離職」にチェックが入っていた。これが雇い止めと認定された根拠なのだと分かった。失業したら路頭に迷うだろうという会社の細やかな誠意で、「自己都合」を抹殺してくれたのだ。

まずは職業安定所内にあるPCで、求人票を検索するのが私の仕事になった。求人の多いのは介護士・看護士・保母さん、そしてPCの操作を教える講師やPCにデータをインプットする業務などだった。PC関係の仕事には就けそうだなと見当をつけた。本当は英語の翻訳業をやりたかったのだが、需要が少ないのか職業安定所に翻訳のスキルを持った人など来ないと思っているのか、求人票は全く無かった。PCで求人票を検索していると、求人件数は結構あるのだ。ただ60歳以上とチェックを入れると、求人票の枚数は0枚とか数枚にそぎ落とされる。求人票の検索を終えて、受付に「雇用保険受給資格証」を提出するときは、プリントアウトした求人票を手にしている(求職活動をしていますよ、とアピールするのだ)。受付の女性が「今日、相談されることはありますか?」と聞いてくるので、「今日は特にありません」と答える。女性は「こんなじいちゃんに、仕事なんか無いわよね」と内心思いながら、「雇用保険受給資格証」に「職業相談」の青い判子を押して「ご苦労様です」と返してくれる。この問答が、お決まりの行事になった。私の方はどう思われようと、「職業相談」の判子を二つゲットすれば、次回の支給認定に合格するのだ。そんなことを繰り返しているうちに、8か月が過ぎた。

遂に「受給期間満了」の説明会を迎えることになった。説明会が終了して、個別面談に呼び出された。「就職口はありませんでしたか?」『この年ではないですよね』「そうですか… 中々無いでしょうね。雇い止めの場合は、後2か月支給が可能ですが、手続きをされますか?」『えッ、あ~そうですか。年金の全額支給が2か月後なんです。有り難いです。』「そういう言い方では、うちは困るんですよ。雇用保険はあくまで働く意欲のある方に支給できるんです」「勿論、勿論、これからも求職活動はしますよ、勿論ですよ…」「…そういうことなら、あと2か月延長いたしましょうか」「よろしくお願いします」と、「雇用保険受給資格証」の上に「個別延長支給決定」の判子を押してもらえた。これで年金全額支給月まで、食い繋げることができたのだ。

雇い止め(1)

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朝日新聞の「知恵蔵2013」に『雇い止め』をこう記述している。
雇い止め期間の定めのある雇用契約において、雇用期間が満了したときに使用者が契約を更新せずに、労働者を辞めさせること。正社員として雇用された場合は、期間の定めのない雇用契約であり、定年か解雇以外で辞めさせられることはないが、期間雇用の場合は、期間満了ごとに契約を更新しないと雇用が保障されない。期間雇用の雇い止めは、正社員の解雇とは異なるが、それまでに何回か契約が更新され、使用者から継続を期待させる言動があった場合、契約の更新を期待していた労働者にとっては解雇と異ならない。そのため、判例においては、雇い止めについても、解雇に関する法理(解雇権濫用<らんよう>法理)を類推して雇用を保証するケースがあると認めている。契約期間途中に使用者が契約を解除することは、雇い止めではなく解雇であり、期間の定めのない雇用契約で許される解雇事由より厳しい要件が必要である(使用者は損害賠償の責任を負うこともある)。非正規労働者(期間工や派遣労働者など)の契約中途解除は、企業の都合で自由にできるものではないが、2008年10月から09年3月にまでに、派遣や期間工など約8万5千人が期間満了や中途解除で職を失うことになり、社会問題化している。

私は社会問題化する必要はないと思っている。正規社員は過酷な競争を勝ち抜いてその座を獲得し、残業に追われ理不尽な指示にも従がっているのだ。一方非正規社員は「責任のある職責に着きたくない」とか「時間を拘束されたくない」という甘い人生観を持って、「期限付きですよ。良いですね」と言われて契約書に同意したのだ。切られたからと言って騒げる立場にはないはずだ。

「あなた方はもう能力も体力も落ちているので辞めてもらいます。そうは言っても年金が支給されないという事情を考慮し、あなた方を再度雇ってあげましょう。責任無いポジションで働いてもらいますから、給料は半分になります」ということで、定年を迎えて1年毎の契約社員になった。責任のない仕事などあるわけがないだろうよ… 暫くすると、マレーシアのクラン(クアラルンプールの外港)、広島の呉や尾道、山口の下松にと数か月滞在して対外交渉する仕事を任された。これが責任の無い仕事なのかと首を傾げたくなる。格上の会社と張り合えるのは、お前しかいないというのが人選理由らしい。私も「責任は誰が取る」などと野暮なことは言わなかった。失敗した時の覚悟はできている。現役時代も「この製品の検収が上がらなかったら、会社は辞める」と何回かかみさんに言い渡して仕事をした。そんな放浪生活をしていると、ある日突然「明日会議があるので、名古屋港に行ってもらいたい」と話が来て、概要が分からないままに会議に出席した。席上「名古屋港電化工事のわが社の責任者です」と紹介されてビックリした。建設業法に定められている「現場代理人」である。「現場代理人」とは、施主に届け出る義務があり、現場で請負会社の社長の代理を務め、現場に常駐しなければならないと規定されている。とても契約社員が引き受ける役職ではないのだが、施主に届け出されている状況であれば、今更どうにかなる訳でもない。会社に諮られたのだ。出だしがこの有様なので、このプロジェクトはいい加減過ぎた。1年の工事期間だが半年を経たとき、下請け業者の責任者に「目途の付いていない項目を洗い出してほしい」と依頼した。「大きな問題はもう解決しています。後は工事計画をどう守るかです」と回答があったので、「そうか、私はいなくなるが良いですね」と言うと、「何ですか? それは」と返ってきた。「もう仕事を止めたい。所長を辞めるというのではなく、会社を辞めます」と言った。会社に辞表を提出したが、自分で決めたのだから理由は「私事都合」である。開発部長が直ぐに名古屋に飛んできた。「プロジェクトの話は了解しました。今開発部には、一から車両を開発した経験を持っている者は残っていないんです。車両を丸ごと開発するノウハウを開発部で講義してくれませんか?」と提案してきた。「彼らも一生懸命やって来たんだと思うよ。それでもあの程度なんだから、ノウハウを頭の中に入れたって役に立たないよ。細胞に浸み込ませるには凄い労力がいる。今まで身に着けられなかったんだから、これからも難しい。そもそも講義をしたって、追いて来られる人がいるか?」「ん~、そうですね。分かるような気がします」。そんなことで不本意だが、プロジェクトの半ばで我が家に帰って来た。

第一志望はゆずれない

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センター試験があと二か月ほどに迫ってきた。受験生達の重圧と不安は今がピークだろう。「センター試験は嫌だ」と言う受験生は多い。楽しいと言う人はいないと思うが、難関大学を受ける受験生ほどこの傾向が強いようだ。センター試験はマークシート方式でそれほど難しい出題は無いので、当事者でないと「センター嫌い」の心理は分からない。偏差値の高い大学で90数点以上の正解が要求されると、センター試験での失敗は致命傷となり、逆転の可能性がほとんど無くなってしまう。このことが多くの受験生に嫌われる理由なのだろう。
受験システムを改革するという話がまた持ち上がっているようだが、どう変えても受験生の悲喜交々は変わらない。一発勝負は危険だからと推薦制度を重視すれば、高校三年の全ての期間が受験戦争になる。そもそも社会に入ってからは、殆どが一発勝負である。ある仕事でしくじって一度人事面で汚点が付けば、その後挽回するのは至難の業である。卒業後の社会は脱落ゲームのような多様性の無い組織なのに、受験システムだけをいろいろ弄っても意味がない。

これは実際に見聞きしたある年の「受験生のドラマ」である。読む人によって色々な解釈があると思うが、読んでもらいたい。

1.自分の気持ちを大切にした学生
彼は早稲田大に合格し、入学式で「皆さん程の優秀な学生は・・・」と言う祝辞を聞いていた。この時この学生は「違うんだ。俺はこんなところに来たかったんじゃないんだ。」と思った。そしてその日のうちに早稲田大を退学して浪人になった。横浜在住の学生だということだった。この話を聞いた人から「この学生の姿勢は立派だ。この学生はその後どうなったのか?」と言う質問を受けた。そのため彼のその後を調査してみた。翌春彼は医学生になっていた。大学名は分からない・・・

2.理1に賭けた学生
土浦の進学校に通う彼は、親父さんから「就職しろ。」と宣告された。頭が良い子なので親戚が心配して話し合った。親戚が親父さんと相談し、「国立大学なら受けさせてもいい。」という了解を取り付けた。彼は国立大学を目指すことになったのだが、何を思ったのか理1一本に賭けてしまった。この学生は周りの心配を覆して東大に合格し、TV局が合格発表直後の本郷から地元の駅までライブを放映した。突然「時の人」になってしまったのだ。そして一年後の春、彼は駒場キャンパスで留年した。舞い上がって勉学に励まなかったのか、それとも東大のレベルが高過ぎたのか、理由は分からない。

3.理3を目指す学生
当時13浪をして理3を目指している学生がいたらしい。この年に受験していれば14浪になる。全国で1番を採ったこともある学生らしいが、人間的に問題があるのかもしれない。15回も日本の天才達が受験する学部を受け続ける強者なのだから、学力が足りないとは思えない。どっちもどっちという気がするが、どこかで学生と理3のボタンの賭け違いが起こったのだろう。このまま掛け違ったままでは、ひとつの人生が無駄に終わってしまう。原因は何なのか、東大に聞いてみたい。多浪の現在では「多額の国費を使ってこの学生を育てても、卒業後社会に還元する期間が短すぎる。だから合格通知は出せない」という論法は成り立つが、初めの段階では何が原因だったのだろう。

4.第一志望を手にした学生
信州大の試験を受けた受験生が特急あずさで帰るとき、甲府駅のプラットフォームでA君を見つけた。「千葉大(医)がA判定なのに、どうしてあいつがここ(山梨大(医))にいるの?」と驚いた。受験の全日程が終わり、受験生たちがディズニーランドへ遊びに行ったとき、彼も参加していた。翌日彼は「慈恵医大に繰り上げ合格した。山梨大に受かっても慈恵医大に行く。」と言った。
一方池袋の才色兼備のB子ちゃんは、実力どおり千葉大(医)と慶応大(医)の合格通知を手にした。両親が医者で裕福なため、慶応大に手続きをした。千葉大の席がひとつ空いたことになる。後日A君に千葉大から合格通知が届いた。彼が山梨大に手続きをしていれば、国立大の協定で千葉大は彼に繰り上げ合格の通知を出すことはなかった。B子ちゃんが慶応大に行き、A君が慈恵医大に決めたことから、A君に第一志望合格という幸運が舞い込んだ。

5.もう一度浪人を選択した学生
多浪の彼は、山梨大(医)の試験の帰り特急あずさの中で泣いていたという。お母さんは高額の入学金を積んで、合格した私立の医学部に手続きを取った。子供の苦しみをこれ以上見ていられなかったのだろう。だが彼は「私立に在籍して、もう一年やってみる。」と洩らしていると聞いた。

小さいアリのお葬式

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5月の連休、小学生と中学生の孫が遊びに来た。 2人は男の子。 公園でバドミントンの相手になっていると、植え込みにアリがたくさん歩いているのを見つけた。
弟は「虫メガネを取ってこよう」と提案。 家から持ってきてアリを観察した。
しかし兄がレンズをかざした時、光の具合で焦点が偶然合ったのか、1匹のアリが焼け焦げ、死んでしまった。 瞬間の出来事だった。
「かわいそうなことをしたね」。 3人でしょげていると、やがて仲間の1匹が死んだアリを背中に乗せ、1㍍ほど離れた別の植え込みまで運び、降ろした。 孫は「アリのお葬式だ」とびっくりしていた。
人間に踏まれないよう、植え込みに移したのではないか。 こんなに小さな虫にも弔いの気持ちがあるのか……。 私は死んだアリを供養しようと思い、毎朝、巣穴の近くにチーズやパンくずなどを置いた。 すぐに10匹くらいが集まり、巣穴へと運んで行く。 「梅雨入りしたら喪明けしよう」と考え、梅雨らしい天気になるまで続けた。
今年の夏、また2人が遊びにくる。 その時、小さいアリたちに、一緒に再会しにいこうと思う。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆
朝日新聞の「生活」欄に投稿された記事である。 巣穴に餌を運ぶ道に障害物があると、アリはそれを退ける。 掃除専門の役割を持ったアリがいると聞いたことがある。 死んだアリは障害物だったのだろうか? アリ社会には葬儀屋がいて、葬儀の準備をしていたのだろうか? 記事のアリは仲間を供養するという精神的な活動をしたのだろうか、それとも自分に与えられた掃除屋か葬儀屋の役割を果たしただけなのだろうか? アリの言葉を喋れたら、質問してみたい気分だ。 私は植物にもこころがあると思っているのだが… 大きな木の枝が道に覆いかぶさっている場所があるが、枝は大型のバスやトラックが通過する高さまでは張り出してこない。 そんな風景を見ると、植物も自分の身を守る術を知っているのだと思う。 我々は気が付かないが、「おっ、美人のバスガイド!」なんて観光バスを見下ろしているのかもしれない。

ヒート・ショック・プロテイン

Woman Lying in a Bathtub Holding a Mug

ヒートショックプロテイン(HSP)は、我々の体に急激な熱の変化を与えられたとき、その熱から身体を防御しようとして作られる特殊なタンパク質のことである。 このたんぱく質は熱だけでなく、さまざまな環境ストレス(重金属、砒素、エタノール、活性酸素、アミノ酸誘導体など)でも発現し、感染、炎症、酵素ストレスなどの病理変化によっても誘導される。 様々な原因によって発現するため、「ストレス防御たんぱく質」と総称される。 この特殊たんぱく質は熱により簡単かつ精度良く発現されるため、HSPとして最近注目されている。 HSPは病気・感染・ストレスなどで傷ついた細胞を修復したり、修復不可能なときは分解してくれる。 またガンや病原菌を攻撃するナチュラルキラー(NK)細胞の活動を活発にして、免疫力を高めてくれる。  良い面ばかりが強調されているが、体に急激な変化を与えるのだから危険な側面もある。 手術をするときもストレス防御たんぱく質が発現されるが、強いストレスの副作用で糖尿病などを発症することがある。 「手術は成功したが、患者は亡くなった。」という例だろう。 過度の精神的ストレスでは鬱になることもある、と認識しておくべきだ。

このHSPを効率よく発現する方法が、「マイルド加温」というような入浴法である。
商業的に公表されているHSP入浴法は、以下のようである。
1.湯温計と体温計を用意する。
正確に湯温を測るため湯温計が必要、また体温計は舌の下で測る。
2.水分補給のために、ペットボトル1本分(500ml)の水分(常温か微温)を用意。
入浴前にコップ1杯ほどの水分を摂取しておくと汗がよく出る。
3. 浴槽に入ったら、肩まで浸かる。
湯が冷めないように、頭を除いてできるだけ浴槽のふたをする。 HSPを増やすのにもっとも重要なのは、体の芯まで温めること。
4.体温を1~2℃上げ、深部体温を38℃以上にする。
湯に浸かりながらときどき舌下体温を測り、どのくらいで深部体温が38℃になるかを掴む。(冬は浴室も冷えているので、洗い場に湯を撒くなどして温めておくとよい。)
5.湯に浸かっている合計時間は、40℃なら20分間、41℃なら15分間、42℃なら10分間。 熱くなったら浴槽から出てもかまわない。はじめから無理をせず、徐々に体を慣らしていくことが大切だ。とくに血圧が高い人、高齢者、体力のない人などは無理をしないこと。
6.半身浴のときは、40~42℃で20~30分を目安にする。 体に負担がかからないようにすることが大切。
7.入浴後もHSPは増加するので、湯から出たら素早く体をふき、体を冷やさないようにタオルケットや毛布などを巻き、10~15分間保温する。
8.汗をかくので、最後に水分補給と着替えをする。入浴剤の利用は保温力を増す。

直入町の元祖・伊藤医院の入浴法はこうだ。 強炭酸泉だから下の入浴方法で効果があるのだろうが、普通の水では物足りないように思われる。 どういう方法でも良いが、深部体温を38℃以上にすることが肝要だ。
1.湯の温度を40℃にする。
2.胸までつかり2分入浴したら、湯から上がり休憩する。
3.これを5回繰り返して、合計10分間入浴する。
4.湯から出た後は、体温を下げないようにタオルケットなどを巻いて30分間保温する。このとき舌下体温が、平熱から1℃以上高ければ良い。

身近の施設で、深部体温が38℃以上になるか検証してみた。 測定値は、舌下の深部体温。

日付: 2013/01/30      施設: 嵐の湯
入浴方法: (下のやり方は、嵐の湯が標準としている入浴方法である。)
一回の入浴は6~7分で、各入浴後休憩を5分摂る。 これを複数回繰り返す。
入浴直前     36.6℃
入浴1回目直後    37.3℃
入浴2回目直後    37.7℃
入浴3回目直後    38.2℃
入浴4回目直後    38.4℃
入浴5回目直後    38.0℃
入浴6回目直後    38.4℃

日付: 2013/02/01      施設: 我が家の風呂
入浴方法:
湯温41℃で一度入浴して体を洗う。(約10分)2回目の入浴で、13分間湯船につかる。
入浴直前     36.6℃
入浴1回目直後    36.8℃
入浴2回目直前    37.1℃
入浴2回目直後    38.3℃
着服直後     37.4℃

日付: 2013/05/05      施設: 我が家の風呂
入浴方法:
湯温41℃で一度入浴して体を洗う。(約10分) 2回目の入浴で、15分間湯船につかる。
入浴直前     36.6℃
入浴1回目直後     36.7℃
入浴2回目直前    37.0℃
02.5分後     37.0℃
05.0分後     37.1℃
07.5分後     37.4℃
10.0分後     37.8℃
12.5分後     38.2℃
入浴2回目直後   38.6℃
着服直後        37.9℃

日付: 2013/04/19      施設: 手賀沼畔・満天の湯
入浴方法: (やり方は、「高張湯(熱の湯)のため、5分以上の入浴は控えてください。」という張り紙に従うため、入浴毎に休憩を入れた。)
湯温41℃で主浴槽(ナトリウム-塩化物強塩泉)に5分つかった後3分休み、これを複数回繰り返す。 体温の上昇が我が家の湯船につかったときよりも遅いのは、休憩が加わったためと思われる。
入浴直前     36.6℃
入浴1回目直後    36.9℃
入浴2回目直後    37.2℃
入浴3回目直後    37.7℃
入浴4回目直後    38.3℃

評価:
「嵐の湯」→ 入浴してから休憩を含めて、30分後には深部体温が38℃を超える。 その後も入浴を繰り返すため入浴回数を6回にすると、30分以上深部体温は38℃以上に維持される。 ここの入浴法は、理想のHSP発現環境と思われる。
「我が家の湯船」→ 湯温41℃で13分間入浴すれば、深部体温は38℃を超える。 ただ15分間入浴しても残り2分しかなく、深部体温を38℃以上に維持する時間が短かいというところが難点である。 入浴後の体温維持の手段に工夫が必要である(特に冬期)。 浴室に暖房設備があれば繰り返し湯船につかれるので、「満天の湯」に近づくのだが… 体温上昇も下降も早いので、体力の消耗がある。
「満天の湯」→ 体温上昇の時間的ペースは「嵐の湯」とほぼ同じである。 30分後には深部体温が38℃を超える。 体温が38℃以上に上昇した後も、湯船につかったりサウナに入ったりするので、深部体温を長時間38℃以上に維持できる。 「嵐の湯」とほぼ同じHSP発現環境である。 「熱の湯」と言われ保温効果が高い。 嵐の湯では大量に汗をかくが、ここは家庭の風呂と同じである。 発汗現象に両者の違いがある。 各種の入浴設備(炭酸浴・ジャグジー・サウナetc)があるので、独自の入浴法でHSP発現環境+α を創作できると感じた。

健康法

ai108035.jpg煙草は3年ほど吸っていない。 桑名のビジネス・ホテルで半年暮らしているとき、フロントの女の子が「禁煙の部屋を準備させてもらいました。」と、勝手に灰皿の無い部屋を用意するのが習慣になっていた。 「疲れているときは、煙草を吸いたいときがあるんだ。喫煙の部屋を用意してくれ。」と頼んでも、「ダメです。」と彼女は譲らなかった。 どうしてそうなったのか理由が分からないのだが、これが契機になって今は煙草を吸う習慣がない。
現役のときは運動をする時間がなく体に気を使うこともせずに過ごしてきたためか、最近体内で色々なことが起こり、多少心配になってきている。 そのため、最近は誰でもやっている健康法なるものを始めてみた。 体内の現象とは関係なく、オムロンの体重体組成計・カラダスキャンに乗ると、体年齢は実年齢より10歳ほど若く表示される。 が、このことを喜んでいられないのだ。

1.呼吸法
2.筑波山登山
3.岩盤浴
4.長時間入浴(41℃の湯船に15分間)
5.炭酸水の飲水

1.呼吸法
若い頃から氣というものに興味があり、「氣は私のライフワーク」と言ってきたので、呼吸法をやり始めてからの期間はかなり長い。 ただし中断期間もかなり長い。 丹田を意識して呼吸を続けていると、非常に稀ではあるが自分と外界との境界がなくなって、天地と一体になることがある。 多分頭頂の百会や足裏の足芯が開いた状態になり、天の氣や地の氣が自在に体の中を駆け巡って丹田を満たしているのだと思う。 呼吸中は体がまどろみの中にあり、終わるとすっきりする。 普段はこの境地まで行かないが… これで交感神経と副交感神経がバランスする。
2.筑波山登山
一日一万歩の散歩をしていたときは、内臓が動き合っているのが分かり、効果はありそうだと感じていた。 が、あまり体に負荷が掛からないので、体力の増強には繋がらないと思うようになってきた。 そのため週一回筑波山に行くようになった。 筑波山登山は御幸ケ原コースが標準だが、私は薬王院コースかつくば道+白雲橋コースを主に歩いている。 つくば道+白雲橋コースは、6時間~7時間の行程で疲れる。 老体をかなり酷使するため、「これは正しい健康法なのか?」と疑問を感じながら登っている。 脳梗塞や心筋梗塞に遭遇したら、山道ではサドン・デスである。
3.岩盤浴
現役のときに整体師に「下半身が虚」と言われて数ヵ月後に、腰痛を発症して2週間ほど寝たきりになった。 整体師は「施術しているとき、氣を吸い取られて寒いんです。」と言っていたので、私の体は冷たいんだと思った。 その後気に入った岩盤浴が見つかったので、週一回通い出し、それから五年ほどが経つ。 期間が長いこともあるが、これが一番健康に効果があると思っている。 岩盤浴と言っても、床に6種類の石を敷いたところに温泉水を掛けて発生させたイオンが充満する浴室で、敷いた石の上に横たわるスタイル。 普通の岩盤浴とは異なる。
4.長時間入浴(41℃の湯船に15分間)
体を温める二つ目の方法がこの入浴法で、舌下の深部体温は38℃以上に上がる。 週一回、家の風呂でやっている。 熱中症や脱水症にならないよう、水を呑んだり時間を短くしたり工夫をしている。 岩盤浴と長時間入浴を合わせて、週二回体を温めていることになる。 深部体温は平常時36.6℃になり、基礎代謝は上がったように感じる。 基礎代謝が大きいと、オムロンが計算する体年齢は若くなる。
5.炭酸水の飲水
採血するとき、看護師さんが困るほど私の血管は細い。 戦後の栄養不足の中で育ったのが原因という。 そのためか、近年冬を迎えると足首から下が冷たくなる。 体の末端まで血が届かないのだろう。 下半身の血行が悪いように思う。 血行を良くしなければと思って、炭酸水を飲んでいる。 水と二酸化炭素だけの炭酸水だ。 このままでは不味くて飲めないだろうと思っていたのだが、予想に反してストレートで飲むと体が爽やかになる。 難点は、一度キャップを外すと炭酸が抜けてしまうので、早く飲み切らなければならないことだ。

以上が私の健康法だ。 ここで、話が逸れる。 久住高原から大分市に向かって近道を走っているとき、長湯温泉の御前湯という温泉施設(大分県竹田市直入町長湯)が目に留まった。 本当に鄙びた農村なのに、田舎の風景に似つかわしくない洋風建築が立っていた。 「これは面白い。」と思って、予定を変更して立ち寄ってみた。 玄関で「胃腸に効果あり」という炭酸泉を飲み、湯船ではその炭酸泉に浸かって気持ち良く過ごした。 日本では珍しい強炭酸温泉らしく、炭酸泉が多いドイツの街と姉妹都市になっていた。 それで建物はドイツ風かと納得したのだが、名前が「御前湯(ごぜんのゆ)」と和風だ。 スタッフに尋ねてみたら、「昔ここのお殿様が、この温泉に来ていたんです。」と返ってきた。 田舎のとっちゃんたちが、この施設を企画したのだろう。 思いつきだらけで洗練さた雰囲気はないが、温泉の泉質や設備は一流で、印象に残っている温泉だ。

上の4項目は、ヒート・ショック・プロテイン(HSP、免疫力を高めるたんぱく質)を体内に発現させる入浴法である。 3項目はHPSを意図したのではないだろうが、同じ効果が見込める。 HSPを発現させる入浴法を初めに開発したのは、直入町長湯にある伊藤医院の先代の院長によると言われている。 伊藤医院の入浴法は今の商業化された入浴法とは大分異なるが、HSPの発現は大きく、直入町に住む高齢者の糖尿病は減少しているという。 私の健康法を整理をすると、三つまでが十数年前に偶然立ち寄ったこの鄙びた農村に係わっていることになる。

直入町温泉療養文化館 御前湯 (http://www.gozenyu.com/
長湯温泉療法 伊藤医院 (http://www.nagayu-itohiin.com/)

診療報酬の「基本料金」に差

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病院に掛かった人が「よく分からない料金を取られているので、病院に確認してみた。 そしたら、『紹介状が無いので、1500円加算されています。』ということだった。 初めての診察なのに、何で紹介状がいるの?」と騒いでいる。 「何で?」と聞かれても、私は医療制度など知らない。 そのまま放って置いたのだが、beに掲載された記事が目に止まった。

病院の規模や紹介状の有無で「基本料金」に差

この記事を読んで、「国が勤務医の負担軽減と高齢化社会に対応できる医療体勢を整えるため、医療機関の機能分化をしている。」ことが分かった。 機能分化のため、ベッド数が200床未満か以上か、500床以上かで診療報酬額が変わるのと、健康保険の適用範囲が変わることになった。 大きな病院(高度な医療設備を有する病院)に行くほど、診療報酬額は高くなる。 先ほどの人は、ベッド数200床未満の病院か診療所に行くべきところを、ベッド数200床以上の病院に行ったため、特別料金(診療所が書く紹介状の手数料相当分)を加算されたということだ。

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日本では、健康保険証1枚あれば、全国一律の価格で医療を受けられる。 受診する病院も患者が自由に選ぶことができる。
ブランド志向のAさんは、有名な大学病院が大好き。 「医療費はどこでも同じだから」と、ちょっとした病気でも都心の大学病院に通う。 だが、この4月からは大病院の医療費の仕組みが変わる。 Aさんのような人は注意が必要だ。
病院や診療所で治療を受けると、診療内容に関係なく「初診料」「再診料・外来診療料」のいずれかが必ずかかる。 これは、問診や触診、簡単な検査などに対する診療報酬で、次のような料金になっている。

初診料
病気やケガで、初めて医療機関を受診したときにかかる基本料金。 診療所でも病院でも一律に2700円。
再診料・外来診察料
病気やケガで、2回目以降に医療機関を受診したときにかかる基本料金。 診療所、入院用のベッド数が200床未満の病院に適用されているのが再診料で690円。 入院用のベッド数が200床以上の病院では、名称が外来診療料と変わり、価格も700円になる。
これまで、どこの医療機関を受診しても、初診料、再診料・外来診療料の全額に健康保険が適用され、患者は年齢や収入に応じて1~3割を自己負担すればよかった。
しかし、国は病院で働く医師の負担軽減と高齢化社会に対応できる医療体勢を整えるため、医療機関の機能分化を急いでいる。 大病院は手術や化学治療など高度な医療を担当し、診療所や中小病院は慢性期の治療や在宅医療を担うというようにだ。
そこで、今年4月から、医療機関の規模によって医療費の基本料金に差をつけ、必要性が高くないのに個人の都合で大病院に通う患者は、健康保険の適用範囲を狭めて、特別料金を徴収することにした。
対象となるのは、①高度な医療を提供する大学病院や国立病院機構、②入院用のベッド数が500床以上の地域の大病院で、近隣の診療所や中小病院との連携がとれておらず、患者の紹介率が低い医療機関だ。

こうした大病院を、診療所などの紹介状を持たずに初めて受診した患者は、初診料2700円のうち健康保険が適用されるのは2千円までで、700円は全額自己負担になる。 そのため、通常なら810円でよい窓口負担が1300円になる(3割負担の場合。)
また、大病院での治療が終わって近隣の診療所などを紹介したのに、その後も個人の都合で大病院に通ってくる患者は、外来診療料700円のうち健康保険がきくのは520円まで。 残りの180円は全額自己負担になるので、通常210円でよい窓口負担は340円に増える。
これまでも国は医療機関の機能分化を進めるため、医療費を見直してきており、ベッド数200床以上の病院を紹介状なしで受診した患者には、各病院の裁量で特別料金を加算してもよいことになっている。
特別料金は、厚生労働省の調査だと平均1998円だが、大学病院や国立病院機構では5千~8千円かかるところもある。 それでも国が描く医療体制に近づかないため、今回、初診料、外来診療料を変更して大病院の利用に一定のハードルを設けることにしたのだ。
こうした仕組みを知らずに、高度な医療が必要ないのに大病院に通うと、今後は自己負担が増えることになる。
厚労省の「必要医師数実態調査」(2010年)によると、全国の病院で約2万4千人の医者が不足している。勤務医の労働環境を守るためにも、家計のためにも、医療機関を使い分けることを心がけたい。

朝日新聞 be (2013/04/13) から転載
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近隣の病院では、牛久愛和病院がベッド数489床、つくばセントラル病院がベッド数313床である。 ベッド数200床~500床の中クラス病院なので、初診時には初診料(2700円)に特別料金(牛久愛和病院は2100円、つくばセントラル病院は1500円)が加算される。 ベッド数200床未満の病院または診療所に行けば、初診料だけで特別料金は取られない。
現在の医師不足対策(勤務医の超激務緩和対策)のために、国は「初めての診療では、初診料だけで済むベッド数200床未満の病院または診療所に行ってください。」と言っているのだ。

でも医療制度は、どこに聞けば良いのかと気が付いた。 そこで愛和病院に電話を入れて「新しく変わった診療制度はどこに行ったら分かるの?(実は以前の制度も分からないのだが…)」と聞いてみた。 「病院の受付にパンフレットを置いてありますヨ。」と言うことだった。 医療機関は制度どおりに動いているのだが、利用者はあまり知らされていない。

ホステス

p20130425_01朝日新聞の日曜版に、be という冊子がある。 先日読みたい記事が載っていたのだが、捨ててしまったので、「おとどけ工房」に持ってきてもらった。 普段この冊子は読むことがないのだが、面白い記事があったのでbeを連載することにした。 本HPの記事は自分が体験したことを書いてきたのだが、この記事は私には全く縁がない世界である。

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マスオ(サザエさんの旦那)の内なる病のひとつは、全精力をかたむけて水商売のホステスさんにモテようとすることだった。
会社にいる平日の夕闇せまるころはたぶん、ありったけの情熱と知力をモテるテクニックの開発につぎこんでいたのだろう。 でなければ、今回の掲載作 (*1) のような小ずるい身分詐称まで思いつくはずがない。
1970年に掲載された漫画では、題して『バーでもてるコツ』という本まで買い求めている。 妻子ある身でなぜ、そこまでしてホステスさんにモテたかったのか。 心に屈折した闇でも抱えていたのか?
時代はうつり変わっても、ネオン街には性懲りもなくモテたい男たちが群がってくる。 でも、その欲望を受けとめるホステスさんの心情は様変わりしているかも知れない。 昭和の高度経済成長時代、マスオのような男たちをあしらう女心も、やはりエネルギッシュだったのだろうか。

東京スカイツリーのおひざ元、東京都墨田区の京成曳船駅近くに、下町人情が濃密に感じられる「キラキラ橘商店街」がある。 その一角で戦前から店を構えるそば屋「五福家」の女将、近藤千代子さんは、「日本一のホステス」だった経歴がかいわいで知られている。
ある雑誌が四十数年前、働く女性の特集を組んだとき、当時、独身で東京・神田のキャバレーに勤めていた千代子さんはホステス代表に選ばれ、ビキニの水着姿の写真がグラビアに載ったのだという。 「コンテストで優勝したわけじゃないから、自称『日本一』なんです」。 夫の2代目店主、安昭さんは、はにかむ千代子さんに代わってそう語る。
高校を出てから、迷うことなく入った神田のキャバレーは雑居ビルの地下にあり、約60人のホステスさんが控えていた。 毎晩10人以上の客から指名が入る千代子さんは、たちまち看板ホステスになったそうだ。
「毎日、開店前に30分もかけて、あいさつや接客の言葉づかいを仕込まれるんです。 『お客様は神様と思え』と徹底的にたたきこまれて、とにかく明るく愛想よくしようと心がけてました」と千代子さんは語る。 土地柄、常連客の大半はサラリーマンで、渡された名刺の束が片手ではつかみ切れないほど、かさばった。
27歳のとき、高校時代の先輩に連れられて来店した安昭さんは、千代子さんにひとめぼれ。 なみいるライバルを、いちずな誠意で出し抜いたという。 「キャバレーに通う小遣いには事欠いたけど、車を持っていたから1年間、仕事帰りのこの人を1日おきに家まで送り届けたんです。 それでなんとか同棲へこぎつけた」

ところ変わって大阪市へ。 やはり高度経済成長時代に水商売の世界へ飛びこみ、いまだ現役のホステスさんがいるのである。 京橋のキャバレー「ナイトクラブ香蘭」の源氏名「ひばり」さんだ。
生家が貧しく、高校の卒業式の日からキタのキャバレーで働き始めたひばりさんの人生は、ほれた男に貢いだりヤクザにつきまとわれたりで波乱万丈だったという。 しかし、どの店でも指名トップの座は譲らず、「香蘭」でも長らくナンバーワンだった。 「こっちからもプレゼントで攻めて攻めて攻めるんですわ。 いまでも、なじみのお客さんには、百貨店のバーゲンで買うといた高級靴下をあげると喜んでくれはる。 そのために毎日、出勤前は380円の牛丼だけ食べて節約してまんねんで」
男に甘えられるから来世も女でいたい。 でも、ホステスはこりごりだと、ひばりさんはいう。 「悲しい目にあうことばっかりやったからな」
哀愁とともに、昭和の残像のようなキャバレーの夜はふけていった。

(*1)  1968/04/02の朝刊で、 マスオさんはバーに来ていて、事件の証拠品らしきものをズボンのポケットから出したりして、刑事さんに成りすましている。

朝日新聞 be (2013/04/13) から転載
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