小さいアリのお葬式

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5月の連休、小学生と中学生の孫が遊びに来た。 2人は男の子。 公園でバドミントンの相手になっていると、植え込みにアリがたくさん歩いているのを見つけた。
弟は「虫メガネを取ってこよう」と提案。 家から持ってきてアリを観察した。
しかし兄がレンズをかざした時、光の具合で焦点が偶然合ったのか、1匹のアリが焼け焦げ、死んでしまった。 瞬間の出来事だった。
「かわいそうなことをしたね」。 3人でしょげていると、やがて仲間の1匹が死んだアリを背中に乗せ、1㍍ほど離れた別の植え込みまで運び、降ろした。 孫は「アリのお葬式だ」とびっくりしていた。
人間に踏まれないよう、植え込みに移したのではないか。 こんなに小さな虫にも弔いの気持ちがあるのか……。 私は死んだアリを供養しようと思い、毎朝、巣穴の近くにチーズやパンくずなどを置いた。 すぐに10匹くらいが集まり、巣穴へと運んで行く。 「梅雨入りしたら喪明けしよう」と考え、梅雨らしい天気になるまで続けた。
今年の夏、また2人が遊びにくる。 その時、小さいアリたちに、一緒に再会しにいこうと思う。

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朝日新聞の「生活」欄に投稿された記事である。 巣穴に餌を運ぶ道に障害物があると、アリはそれを退ける。 掃除専門の役割を持ったアリがいると聞いたことがある。 死んだアリは障害物だったのだろうか? アリ社会には葬儀屋がいて、葬儀の準備をしていたのだろうか? 記事のアリは仲間を供養するという精神的な活動をしたのだろうか、それとも自分に与えられた掃除屋か葬儀屋の役割を果たしただけなのだろうか? アリの言葉を喋れたら、質問してみたい気分だ。 私は植物にもこころがあると思っているのだが… 大きな木の枝が道に覆いかぶさっている場所があるが、枝は大型のバスやトラックが通過する高さまでは張り出してこない。 そんな風景を見ると、植物も自分の身を守る術を知っているのだと思う。 我々は気が付かないが、「おっ、美人のバスガイド!」なんて観光バスを見下ろしているのかもしれない。

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